高校生のスポーツ選手の多くの高校生活最後の大会にあたる高総体。
同様に中学生なら中総体、そして大学生や社会人であっても、各競技ごとに最もメインとなる大会があるはずである。
おそらく大半のスポーツ選手は自分の生活時間の中でも特に多くの時間をその競技の練習に費やしてきたかと思う。
その為、大きな大会で最後に負けてしまったり、大きな期待を受けながら序盤で負けてしまった時に、自分自身で状況を受け入れるまでに時間がかかる、もしくは現実を受け止めきれずにメンタル崩壊を起こしてしまったような経験をお持ちの方も多いのではないだろうか?
ここでは、大切な試合に負けてしまった時に、どのように取り組み、またどのように心の調整を計るべきか?という問題について具体的にポイントを上げながら確認していく。
今現在、もし試合に負けた直後であり、メンタル調整が上手に出来ない状況にある方は、難しい課題に思えるかもしれないが、少し時間をおけば参考になるかと思うので目を通してみて欲しい。
あなたが今現在、何かしらのスポーツ競技をしており、自分自身が現役のスポーツアスリートであるとして話をすすめる。
まず、あなたが今現在の行うべき最も大切なことは、「スポーツの世界では勝敗を明確に定める」というシンプルな原則が存在する事を把握することである。
試合の勝者がいるということは、必ず試合の敗者がいるということ。
「勝者と敗者がいて、そのゲームが成り立っているという事実」である。
シーズンを通して勝敗を競うゲームやリーグ戦形式などであれば「引き分け」も存在するが、やはり最後は優勝者、もしくは優勝チームを定める。
みんな頑張ったから全員が勝ち!と認識する事は悪いことではないのかもしれない。
しかし、今言っているのはそういう概念的な話ではなく、もっとシンプルに勝敗を定めるというスポーツの原則の話しである。
高総体などの大会を見ていると、負けてしまったチームの選手達が試合終了後に、数日放心状態になってしまうケースを何度か見てきた。
思春期であり大切な時期である高校生活の大半を費やしてきたスポーツ競技であるならば、この状況はある意味当然の状況。
・わけもわからず涙が出て来る
・何も口にできない
・何も聞くたくない
・試合を思い出し眠れない
・これから何をすべきか?目的が見えない
・これほど頑張ってもむくわれないならいっそのこと・・・・
・この痛みはもう味わいたくない
自分も経験があるが色んな思いが胸をよぎっては消えていくものである。
自分が頑張ってきた競技であればあるほど、その胸の痛みは言葉に出来ない様な、想像を絶する痛みであろうかと思う。
目を背けて気分転換をしようにも、気分転換さえまともに行えない・・・・そんな状況が数日続くことになる。
尚、スポーツアスリートとして大切な事は、まさにこのメンタルが崩壊しつつある時、負けた時の痛みの処置の方法であると私は考えている。
これは、結論から述べてしまうと、この痛みが強ければ強いほど、自分自身の大きな成長に繋がる為である。
試合に負けた後の想像を絶する胸の痛み。
もし、この痛みが強ければ強いほど本当に成長に繋がるのであれば、ここで大切な事は、この胸の痛みから目をそむけずに真っ直ぐに向き合うことである。
目を閉じて、襲ってくる深い痛みを腹の中に納め、ゆっくりと、ゆっくりと自分の中で消化していく。
この期間に感じた痛みや、逃げ出したいという感情、そしてゲームの反省点や試合で最も大切に感じたことは、必ず今後のあなたの人生の大きな財産となる。
これは断言しても良い。
筋繊維はダメージを受けると再生し、ダメージを受ける以前よりも強く太く成長する。
人間は細胞レベルの段階から不可思議とダメージが乗り越えられるような構造で作られている。
この不可思議な原則は、目に見えないメンタルという部分においても同様。
修羅場をくぐってきた選手の強さ、メンタル的なタフさは、強い痛みを受け入れ、その痛みさえも栄養として取り込み続けてきたからこそ備わったものなのである。
ここまで話してきた内容は、メンタル調整における抽象的な考え方とも言える。
その為、今現在試合に負けてしまった直後の方であれば、ここまでの内容に関しても「それくらい解っているよ…」・「言いたいことはわかるけど…」と感じる方が大半かもしれない。
しかし、それでも話は続けよう。
ここからは、負けという経験をあえて「自らの成長」に繋げていくためのポイントについて確認する。
人は幾つになっても「成長したい」・「学習を続けていきたい」と感じる生物であると私は思っている。
ジムや水泳のインストラクターをしていた時代、多くの高齢者の方と接していた時にも感じたが、新しい事が上手に出来るようになった時の笑顔は素晴らしいものがある。
歳を重ねると、今まで出来ていたことが少しずつできなくなってくる。
しかし、それでも新しい事にチャレンジする姿を見ていると、「学習」や「成長」というキワードは人生で大きな意味を持つ言葉であると感じてならない。
実際に私自身も幾つになっても成長を願って生きているし、成長に喜びを感じる点は変わらない。
試合に負けた経験こそが成長に繋がるという言葉は、多くのトップアスリートが述べている事でもある。
もしこれが事実であるならば、どうせなら喜びを感じられる、より大きく成長に繋げる方法はないか考えてみるのも良い。
大切な試合に負けてしまった時に、その負けという経験を自分の成長に繋げるために必要な点について考えてみよう。
この成長へ繋げるプロセスで絶対に避けては通れないポイントは、「相手が勝った」という事実を真摯に受け止めることである。
「最大の敵は自分にあり」という言葉があるが、試合後のプロセスに関しては、まず「相手もしくは相手チームが自分よりも素晴らしいパフォーマンスを発揮した」と相手をリスペクト(尊敬する事)する精神を持つことが重要になる。
まず相手をリスペクトするという行動は気持ちが不安定な試合後数日間は実は結構難しい。
しかし、この考え方も経験を重ねる毎に少しずつ自分の中に浸透し、上手に切り替えができるようにもなってくる。
実際に素直に相手を心からリスペクトする事ができるようになると、自分の高ぶるメンタル感情とは一線を引くことができるようになる。
そして、感情から一線を引く事で「相手がより良いパフォーマンスを発揮できたのは何故だろう?」と少しずつ現実的かつ冷静に試合のポイントを考えることができるようになってくるのである。
相手もしくは相手チームがより良いパフォーマンスを発揮できたのは何故だろう?
試合後の分析が冷静にできるようになったら、ここからは2つの基準に絞って考えをまとめていく作業が必要になってくる。
この2つの基準とは、「相手と自分の実力や技術的な差」についてである。
1つ目は、技術的、実力的には負けている、もしくは全く及ばない相手に負けてしまったケース。
そして2つ目は技術や実力では勝っている相手に負けてしまったケース。
具体的にはシンプルにこの2点に絞って考えてみることが重要である。
スポーツの世界では試合前にある程度の実力の違いがはっきり出ているケースが多い。
もし、試合前の段階で技術や実力が、「まだ及ばない」と感じる相手に負けてしまったケースでは以下の点について考えてみる。
①本当に技術・実力が及ばない相手か?(自分を過小評価していないか?)
②日々の練習で追いつく為の計画があったか?
③1%でも勝利する可能性を模索して試合に挑んだか?
④本当に追いつけない相手であったか?
技術力や実力は試合の勝敗を決める大きな要素のひとつである。
実際に試合では怪我や体調不良、メンタル的な要素など幾つもの要素が噛み合わさって勝敗が決まる。
しかし、やはり「実力の差が出たな…」という言葉を多く耳にするように最終的に試合を決める要因として実力の差が大きな要素となっている点は間違いない。
このケースの場合は、現実的に「試合当日までに自力の差を埋める事ができなかったかどうか?」という点を突き詰めていく事が重要である。
もし試合当日までに誰が見ても明らかに差があると思われる状態であったならば、相手を研究し1%でも可能性がなかったか?という点についても考えてみる必要がある。
スポーツの世界では試合前の段階ではある程度の実力差があると言われていても、結果がその通りにならないケースも多い。
もし、試合前の段階で技術・実力で優っている相手に負けてしまったケースでは以下の点について考えてみる。
①本当に技術・実力で優っている相手か?
②慢心やおごりはなかったか?
③1%でも負ける要素がないように準備をして試合に挑んだか?
④守りに入りすぎていなかったか?
前述したようにスポーツの世界では技術力や実力は試合の勝敗を決める大きな要素のひとつとなる。
その為、まず周りの声などよりも自分の中の評価で本当に実力で優っている相手であるかどうかを冷静に分析する事が重要となる。
相手、もしくは相手チームはチャレンジャーである事からも、激しい練習を積んで試合に挑んでくるものである。
そして結果的に試合当日では実力的にもほぼ互角状態、もしくは相手が優っているようなケースも当たり前に考えられる。
①の分析では過去に勝っていたかどうかよりも、当日の相手の実力を評価して分析して見ることが大切である。
また、②の慢心やおごりはなかったか?という点については、多くのアスリートが思い当たる経験をもつ項目だろう。
トップ選手やオリンピック選手でさえも、「慢心や油断があったかもしれない」という言葉が多く出てくる以上、慢心やおごりといった感情は、自分でコントロールする事が最も難しい感情であるとも言える。
この慢心やおごり、油断といったテーマはスポーツをしていく以上、一生取り組んでいくべき課題であると覚悟しても良いだろう。
③の1%の負ける要素も潰す気持ちで練習に取り組む姿勢や、④の守りに入るといった事も大きな意味で②の慢心やおごり・そして油断が原因であると考えられる。
守りに入るほど自分は絶対王者なのか?と考える事ができたし、現実的には上はまだまだ居て自分は未だ尚、「挑戦者」である事を自覚できたはずだからである。
この慢心や油断といった難しい問題に対して、全日本代表のサッカー選手である本田圭佑選手が過去に試合終了後の取材で以下のようにコメントしている。
「格上ではない相手に負けたという事は、必ず慢心や油断があったということ。どんなに慢心がないと自覚していてもどこかに油断が潜んでいる。この問題と向き合うには何度も何度もしつこく自問自答し続けるしかない」
このコメントはやや省略して記載しているが、全日本代表レベルの選手であっても油断や慢心が存在するということ。
そして、この問題と向き合うには何度も「慢心や油断がないか?」と自身に自問自答し続けることが大切であるという事を意味している。
ある程度長い年月をかけてスポーツに取り組んでいると、勝利経験も敗北経験も豊富に味わうようになり、メンタル的な対処も少しずつ上手にできるようになってくる。
最後に、もしあなたのご両親がスポーツ選手であった場合について考えてみよう。
スポーツを通じて様々な経験を積んできた親であれば我が子に対して「負けを成長の糧にして欲しい」と願う親がおそらく大半であると思う。
最近は珍しいかもしれないが、もし、
「勝負事は勝たなきゃ意味が無い!」
「負けたら全て終わりじゃ!」
と厳しい事を言う親が居たとしても、本音は勝ち負けよりも、我が子の成長を願っている為の言葉であると思う。
言葉の表現は様々、もし悔しい負け方をしてしまい落ち込んでしまった時には、「この負けを忘れずにまた頑張ろう」といった言葉がきっと出て来るもの。
トーナメント戦形式やリーグ戦形式、そして団体戦や勝ち抜き戦、規程タイム制などであったとしても勝ち上がる選手がいる一方で、勝ち上がれなかった選手がいること。
あなたが、この当たり前の部分が理解できると、もっと広い認識で優勝者、もしくは優勝チームは一つというシビアな世界に居る事も感じられるようになってくるだろう。
ひとつの大会で優勝者、もしくは優勝チームがひとつであれば残りの選手やチームは全てどこかで負けているというシビアな現実。
圧倒的に、どこかで負ける事の方が多いスポーツの世界に身を置く以上、負けた時の対処法を学習しておくことはとても重要なことである。
そして、あなたには、その負けたという経験さえも自分の成長に繋げる覚悟を持って成長し続けるアスリートとなって欲しいと願う。